オードリーヘップバーン ~ヘップサンダル~―品川下駄屋物語―丸屋履物店

品川下駄屋物語

オードリーヘップバーン ~ヘップサンダル~

赤線禁止法を受けて徐々に苦しくなっていったのは何も下駄屋(小売屋)だけではありません。
製造業の草履屋・花緒屋さんといったところが、方向転換の必要性を強いられます。
そこで大きく流れを変えるのがかの有名な「オードリーヘップバーン」です。

赤線禁止法の少し前、【麗しのサブリナ】という映画中でオードリーヘップバーンの履いていたサンダル(爪先バンドのみのサンダル)が
【ヘップバーンサンダル(ヘップサンダル)】と名付けられ日本でブームとなります。
もともと履物としていわゆる便所サンダルのような、木の台にバンドのついたサンダルタイプの履物の製造や扱いがあった下駄屋業界。
草履屋・花緒屋さんといった製造業者が、ならば・・・とヘップサンダルの製造に加わっていきます。

付き合いのある人がやり始めれば、それを仕入れて売る、というのは自然な流れ。
下駄屋の店頭にヘップサンダルが並んでいる光景は今でもよく見られるのはそういった背景があるからなんです。

想像でしかありませんが、赤線禁止法により苦しくなった下駄屋業界をこのヘップサンダルが支えたと考えるのは比較的容易にイメージできます。

ある花緒屋さんに話を伺った時
「俺もヘップのデザインを勉強した時があったよ」
と、デザイン案をまとめた冊子を見せてもらったことがありました。
「もう花緒なんて必要無くなる・・・なんて言われてた時代もあったからね・・・」
と・・・

考えれば考えるほど、この赤線禁止法を中心とした辺りで色々な分岐が半ば強制的に生まれているように思います。

>>>次の章へ

ヘップサンダル
現在当店ではたたみのサンダルのみの取扱いです


もくじ

丸屋就業

突っ掛けて履く

和装履物の知識を・・・ ~昔話~

言葉の違い ~じょうろやさん~

品川宿と女郎屋と下駄屋

女郎屋と下駄屋 ~雨の助け~

女郎屋と下駄屋 ~捕物協力~

専門店の多い町

建物について~関東大震災・戦争~

赤線禁止法

・オードリーヘップバーン ~ヘップサンダル~     <--現在地

祖父亡くなる

有り難いお客様

時代の流れと共に

なぜ下駄屋を継いだのか