丸屋就業―品川下駄屋物語―丸屋履物店

品川下駄屋物語

丸屋就業

兄と姉がいますが、共に店の手伝いをする事は無かったため、自然な流れ??で自分が大学卒業と共に丸屋就業します。
といっても、下駄屋に生まれた、というただそれだけであり、
それまでに何かお手伝いをしていたわけでもなく「持って生まれた経験値」のようなものはまるでありません。
ただひたすらに店番をする日々はニートそのものでした。
暇で暇で・・・
正直、一日店番してても1人もお客さんらしい人が来ない時もあるぐらい。

これは・・・ヤバい・・・

というのは毎日のように感じますが、ひとまず自分に出来るのは花緒をすげる技術を身に付けること、
通常丸屋では5~10分ほどのお時間を頂戴して花緒を目の前ですげ・調節していきます。
が、駆け出しの自分は1足1時間ほどの時間を要しました・・・
とてもじゃありませんが、なかなかお客様の目の前で~というわけにはいきません。
自分で履く下駄を、自分ですげて、履いて感触を確かめる。
その繰り返しです。

実は今までお祭りの時以外、自分ところの商品なんて履いてこなかったわけですが。
自分で履いて確かめなきゃ良し悪しがわからない、ということで、この辺りから毎日下駄・雪駄履き生活がスタート。
正直「どうやって歩くのか?」というところからのスタートです。

「下駄は引きずっちゃいけない」

「下駄の音ってそんなにうるさくないよ。うるさくないけど、下駄ってわかる音。カッカッっていう音かな?
 昔の芸者はね・・・・・・・・・~~~~~・・・・・~~~」

・・・はい。
という風に。
すげては履いて。
またすげて履く。という具合でした。

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下駄屋道具


もくじ

・丸屋就業     <--現在地

突っ掛けて履く

和装履物の知識を・・・ ~昔話~

言葉の違い ~じょうろやさん~

品川宿と女郎屋と下駄屋

女郎屋と下駄屋 ~雨の助け~

女郎屋と下駄屋 ~捕物協力~

専門店の多い町

建物について~関東大震災・戦争~

赤線禁止法

オードリーヘップバーン ~ヘップサンダル~

祖父亡くなる

有り難いお客様

時代の流れと共に

なぜ下駄屋を継いだのか