赤線禁止法―品川下駄屋物語―丸屋履物店

品川下駄屋物語

赤線禁止法

自分が聞いた昔話ではなかなか出てこない部類の話題ですが、品川の昔話としては外せないところが「赤線禁止法」だと思います。
なんといっても【じょうろやさん】で持っていた町でもありますから・・・

実は丸屋としても動きのあった瞬間で。
祖母の兄が3代目として店を切り盛りしていましたが、赤線禁止法の施行と共に隠居することになります。
そこで、店が好きだった祖母とその婿さん(祖父)が店を継ぐ形となるわけです。

これまで紹介してきた通り【じょうろやさん】と密接に商売関係のあるのが下駄屋の1つの営業スタイルでもありましたから、
下駄屋という商売にとっても「赤線禁止法」は大きなものであったと思います。
実際に代替わりとなった丸屋の経営も厳しい状況だったようです。

そこでまだまだ大きな支えとなっていたのは料亭・茶屋・置屋(芸者)「三業」と呼ばれるいわば花柳界。
通人好みの遊びが出来る場所で、そういった方のためのお洒落な足元を揃えるといった仕事がありました。
また、すぐに【じょうろ】が居なくなるわけではなく、そこに住まわれていたため「常連さん」という違う形でのお付き合いも続いていたようです。

>>>次の章へ


もくじ

丸屋就業

突っ掛けて履く

和装履物の知識を・・・ ~昔話~

言葉の違い ~じょうろやさん~

品川宿と女郎屋と下駄屋

女郎屋と下駄屋 ~雨の助け~

女郎屋と下駄屋 ~捕物協力~

専門店の多い町

建物について~関東大震災・戦争~

・赤線禁止法     <--現在地

オードリーヘップバーン ~ヘップサンダル~

祖父亡くなる

有り難いお客様

時代の流れと共に

なぜ下駄屋を継いだのか