新しい履物で新年を迎える―丸屋チャンネル@youtubeまとめ―丸屋履物店

新しい履物で新年を迎える


年末に近づくにつれて
「お正月が来るから履物改めておかないと」
というお客様がお見えになります。

お年を召した方に伺いますと
「昔は盆と正月にしか履物なんて買ってくれなかった」
という話が聞かれます。
これはほぼ全国共通と言っても良い、習慣的なことのように思います。

新しい履物を用意して、新しい年を迎える事でなんだか気持ちが改まったような気になる。
これで今年はやれそうな気がする!
今年こそは大きな飛躍のある年にするのだ!
そういった心理的な事は現代人にもなんとなく理解できるところですよね。

慶応元年創業 和装履物処「丸屋履物店」 6代目店主 榎本英臣

もくじ

◆奄美大島からのお客様のお話

◆新年に履く草履・福草履の存在

◆下駄屋年末昔話

新しい履物で新年を迎える
動画版はこちらから

奄美大島からのお客様のお話

先日、奄美大島からお客様がお見えになりまして。
まさにそんな話を聞かせて頂きました。
「昔は正月になると私のお爺ちゃんが下駄を作ってくれて・・・それが嬉しかったのを覚えている」
というお話。

これに私は想像を膨らませてしまいました。

まるで江戸時代的な感覚なのかな、と。
その感覚に近い雰囲気を感じるわけです。

「買う」ではなく「作る」んですよね。
自分達で「作る」
これはおそらく草履にしろ、下駄にしろ「身近な材料を使った履物」だったはずなんですよね。

こういった草履じゃなければいけない、とか。
このシーンには下駄なんだ。とか。
そういった問題じゃないわけですよね。

新しい年が来るから、新しい履物を作ろう。
木があるから下駄を作ろう。
藁があるから草履を編もう。
そういった感覚のように感じます。

ここには履物の「格」的なものを感じる事はなく、
「身に付けるものを改める」という点の方に重点が置かれているように思います。


新年に履く草履・福草履の存在

ここで私が感じることは。
昔話に必ずと言って良いほどこの「お正月に履物を改める」話が聞かれるのは
年神様をお迎えする1つの作法として考えられていたんじゃないのかな、と思ってしまいます。

新年用の履物、ということで頭を巡らせてみると
「福草履」と呼ばれていた草履があったようです。

宮本勢助氏の「民間服飾誌」より引用させて頂きますと。
【福草履・正月に履くべき草履にして年の晩より用意しておくなり】

ということから、やはり年越し用の履物を用意しておく、という様子がわかると共に、
ちょっと特別な「福草履」と呼ばれる履物の存在が伺えます。

福草履ってなんだ?というところ。
今では全く聞き覚えの無い草履となるわけですが、実はyoutube上では一度登場したことがありまして、
「冷飯草履と中抜き草履」という過去動画の中で中抜き草履について触れていますが。
この中抜き草履の別名が福草履、とも呼ばれているようです。

この中抜き草履。
一度履いたら捨てる、といういわゆる「かけながし」にしなければならない履物だ、として過去の動画で登場していました。
この動画の中では、お殿様であるとか、お呼ばれの際に城門の手前で履き替えるための履物、という事だったと思います。
つまり、一般的な履物、というよりも、ちょっと特殊な人達の、かしこまった時の履物、なんですよね。

それが「福草履」と名前を変えて、お正月に履くべき履物、と表現される方がいる。

いわゆる「かけながし」の履物を他でも無い「お正月に履く」という作法。

なんだかコレだけで、日本人というのはお正月というのを有難く迎えてきたんだな~と感じてしまいます。

しかし現在においては、そのような特別な草履の存在は全く聞いた事がありません。
下駄屋をやっていても耳にすることが無いぐらいですので、昔々の作法はいつしか自然と影を潜めてしまっているように思います。

ただ、新年を新しい履物で迎える、というように少しニュアンスは変わっているように思いますが、
この感覚はやはりまだある。
あるからこそ、先の「新年を迎える前に履物を作る」という話があるのではないか、と感じます。


下駄屋年末昔話

もう一つ、年末の履物需要を表す話として毎度毎度下駄屋の昔話になりますが、
話に聞く大晦日は下駄屋はなかなかの繁昌だったそうです。
それこそ初詣の帰りのお客さんが履物を買っていくんだ、なんていう話もありまして、
夜通し下駄屋が開いていた、というよりも店を閉めていてもお客さんが来る、という状態だったようですね。
24時間営業、というわけではないと思いますが、すごい時代があったんだな~と思うわけです。

これも新年、新しい履物で迎えるという思いの強さがよくわかるエピソードだと思います。


おそらく「かけながし」にしてきた履物を採用してきた習慣から想像すると、
「新しい履物で新年を迎える」というのは決して質の高い、高級な物、良い物じゃなければいけない、ということでもないように感じます。
そこには自製した履物であったり、簡易的なものだけど、けがれの無い新しい履物という要素が重要になる気がします。
新しい履物を下ろす、最高のタイミング、とも言えるのかもしれません。

何はともあれ、新しい履物を履いて新年を気持ちよく迎える。
そんなところに意味はあるのではないでしょうか。


以上。
今回は簡単ですが、この辺で。


新しい履物で新年を迎える
動画版はこちらから

宮本勢助氏の「民間服飾誌」


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