脱いだ時の見た目を大事にする―丸屋チャンネル@youtubeまとめ―丸屋履物店

脱いだ時の見た目を大事にする


言わずもがなですが、日本は履物を脱いで家に上がる習慣がありますよね。
前回の動画でもそんな履物の脱ぎ履きが多い、というのが一つの特徴になっているという話がありました。
このことからよく言われる「脱いだ時の見た目が大事なんだよ!」という言葉について考えてみようと思った次第です。
結構言われる事でもあるかと思いますのでもしかしたら、聞いた事がある、という方も多いのではないでしょうか。

和装履物は台と花緒の組み合わせが自由になるため、
自由であるがゆえにその組み合わせに悩みが生まれますよね。

あの着物にはこの組み合わせが良いかな~とか。
この帯に合わせたいから、こんな感じでやってみようとか。

このある意味無限に続く悩みから最終的には一つに絞っていくわけですが。
ここで、「着物との兼ね合い」というのももちろんあるけど、まずは履物だけを見て良いなぁ~と思える組み合わせが良いんじゃないか?
と言われたことありませんか?
これがまさに「脱いだ時の見た目を大事にする」考え方だと思います。
この考え方・・・ちょっと難しいですかね。
今回はこの考え方を自分なりに解説出来ればと思っています。

慶応元年創業 和装履物処「丸屋履物店」 6代目店主 榎本英臣

もくじ

◆お洒落アイテムとしての履物に求められるもの

◆一回り小さく見せる工夫

昭和サイズ感問題小さく見せたかったのは女性だけではない

◆上からの見た目を良くする加工

◆履いた状態での見た目

脱いだ時の見た目を大事にする
動画版はこちらから

お洒落アイテムとしての履物に求められるもの

まず見た目が気になる、というより、お洒落の舞台となるのは
・人と会う
・食事をする
・買い物に行く
・観劇に行く

こんなシーンを想定するわけですが。

どれも・・・履物、脱いでますよね??

あれ・・・そうじゃないですか??

いや、履いたまんまだろう、というのはもちろん現代の生活だからではないでしょうか。
いきなり何を言っているのかという感じですが(笑)

何も江戸時代というところまで遡る話でもなく、
明治・大正というところまで来ても、まだまだ外出した際に「履物を脱いで上がる」というシーンは多かったようです。
建物の中に入るには、大きなお店などであればそこには履物を管理する「下足番」という方がいて、その人に履物を預けるわけです。

となると、多くのお目当ての時間の中では「履物を履いていない」という時間が長いんですね。
そうですよね。

そうなると、「お洒落アイテムとしての履物」に必要とされる要素は何かという事になってきます。
だからこそ、そこに「脱いだ時の見た目が大事なんだよ」という言葉も生まれているように思います。

品川に伝わる昔話の中には、下足番がお客様の履物を判断して通す座敷を決めていた、というような話も聞きます。
足元を見るとはまさにそのことで、
「下足番を騙せるかどうか」という今では全くわからない遊びも生まれていたようですね。

そんな話を支えてきたのも我々のような昔ながらの下駄屋だと思います。

今では下足番がいて履物を脱いで上がる、なんていうシーンはなかなか馴染みがないわけですが。
しかし、そんなシーンは極めて日本的な光景のように感じます。

そんなところで。
一瞬ではあるかもしれませんが、持ち主から離れて履物単体で見られるシーンがある。
ここまで綺麗に見せたいよね。
こういうお気持ちは履物屋として頭が下がります。


昔ながらの草履

一回り小さく見せる工夫

そんな履物の代表例として。
昔ながらの草履というのが皆さんイメージしやすいところだと思います。
現在よりも一回りほど幅が狭く、小さいイメージ・・・ありませんか?
これはよく言われるのですが「私のおばあちゃん、たぶん足が小さかったと思うんです」という、そういう問題ではないんですよね。

花緒履物の構造上、3点で足と台をフィットさせることを考えると、
幅を狭くし、足に隠れるぐらいの方がむしろ足とのフィット感が高くなり履きやすい。
このように考えられていたと思います。
ところが現在ではそんな考え方も随分と薄くなり、
むしろ「幅広が良い」
「足が乗っかるぐらいのものがいい」
という要望を頂く事はもちろん、お客様の方だけではなく作り手さん・売り手さんの方にまでそのような変化が見られます。

しかし、この幅が狭く小さいように見える履物。
これが当時の人達のこだわり、とも言えるスタイルであったと思います。
「脱いで揃えた時の見た目を大事にする」という考え方の中には
「小さく見せる事を良し」としてきた価値観があります。

昭和サイズ感問題

この価値観はかなり強く、
日本人の足が大きくなっていく昭和初期頃において、たびたび「足の大きさと履物のサイズ感があっていないのではないか?」という話題が挙がるようになるわけですが。
これは何も作り手が大きいサイズの履物を作らなかったというわけではなく、お客様の好み・選択によって「小さいサイズばかりが売れていた」と言います。
このエピソードからは、やはり女性にとって「小さい足」そのものが自慢となっていたように感じます。
そして少なからず、玄関等において、自分の履物は小さく見せようという努力をしていたように思うわけです。


小さく見せたかったのは女性だけではない

面白いのは、この考え方は何も「女性に限った話ではない」ということです。
これは男性にとっても同じように「小さく見せる事を良し」とする傾向にあります。
ただ、これは関東圏の考え方なんですよね。
地域によってだいぶこの辺りの考え方は変わってきまして、
一般的に関西方面では「幅広を良し」とする傾向にあるようです。
それに対して関東圏では「幅狭を良し」とする。
この傾向の違いは非常に面白いわけですが。
確かに「幅が広い履物」の方が「偉そう」に見えるんですよね。
玄関にドシっと構える大きな下駄。
この風格はどう見ても昔ながらの家長、「家で一番偉い人」というような雰囲気を感じます。

大角と下方

まさにこの下駄の隣に細身の下駄が並べば、そのお付きの人、というような印象になりませんか?
この玄関先の風景だけで、言ってみれば中の様子を想像する事が出来るわけですね。
どんな人が来ているのか。

こういったシーンにおいて、江戸では「細身の方が良し」という価値観になりますから、
そこには「謙遜している様子」を感じる事が出来ます。
同行の人がいればその人を立てる、というような気遣いを感じてしまいます。

このように、履物だけをみて想像を膨らませる。
これが主に下足番の役目でもあり、それは一般家庭に置いてもお客様の様子を感じる事が出来る一歩目となるように思います。

脱ぎ履きが多い時代を通り抜けてきた履物だからこそ、「脱いだ時の見た目が大事なんだぞ!」という事になるわけですね。



上からの見た目を良くする加工

脱いだ時の見た目、といえば、上からの見た目、ということになります。
上からの見た目、といえば、昔ながらを感じるものとして個人的に真っ先に上がるものが「柾張」だと思います。
今、天一と呼ばれる歯が糊付けの下駄でも、表面には薄い柾目の経木が張られていますので、どんな下駄でも柾目の通った下駄に見えると思います。
これはまさに、「柾の下駄、つまり良い下駄を履いているように見せかけるため」ですよね。
上から見れば柾の下駄に見える。
現代においては「柾の下駄って何?」という感じかもしれませんが、未だに残る下駄の加工方法であり、最も多いやり方ではないでしょうか。

このように上からの見た目を重視すると、「足が乗る部分への工夫」が多くなっていきます。

・蒔絵・鎌倉彫といった柄を入れ込む物
・津軽塗など贅沢な塗り物
・草履では革細工・錦織など。

いずれも脱いで揃えた時に美しい。そんな履物だと思います。
こういった足が乗る部分への装飾が考えられているのは、まさに「脱いだ時の見た目」を大事にするというところから生まれているように感じます。
踏み絵のようで嫌だという方も中にはいらっしゃいますが、実は極めて日本らしいデザインであるように思います。


履いた状態での見た目

もちろん現代においては「脱ぐことが無い」シーンの方が多いですよね。
そのため、この「脱いだ時の見た目を大事にする」という意識は自然と薄れていっているように感じます。

そしてその「履いた状態での見た目」という新たな視線に向けて、「履物側面の加工」があると思います。
比較的時代が新しい「草履」などは、早くから側面にアクセントを入れる作りをしているものが多いですよね。
これが我々のイメージする、昔ながらの草履のイメージではないでしょうか。


この「側面加工」ももちろん足元を支える大事な要素だと思います。
定番の柄を入れ込んだデザイン。
螺鈿を入れたもの。
下駄でも側面に蒔絵を付けたものもありますね。



このように、
・脱いだ時の見た目を大事にするのか
・いやいや履いているときのアクセントでしょ、
という考え方なのか。

もちろん脱ぎ履きがあるシーンなのか、と一日を想定する必要があるかと思いますが、忘れてはならない要素になってくるのではないでしょうか。

これは和物のお洒落において重要なポイントだと思います。
我々の方でも昔ながらの「脱いだ時の見た目」というジャンルだけでなく、
「履いた時のお洒落」をイメージした選択肢を用意するべき、と。改めて感じました。


以上。
最後までご視聴ありがとうございました。



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動画版はこちらから

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