タイトル通り、表付きの下駄がワンランク上に評価される理由について探っていこうと思います。
下駄といえばどちらかといえばカジュアルな印象を持つ方も多く、
正装といえば草履!というのが多くの方のイメージであり、草履が正装になるというのはこれはもちろんその通りだと思います。
しかし、丸屋としても表付きの下駄は正装でも大丈夫ですよ、とご案内しているところもありまして。
一体その真相はどこにあるのか、というところを調べてみることにしました。
慶応元年創業 和装履物処「丸屋履物店」 6代目店主 榎本英臣
まずは表付きの下駄の歴史・・・
というところで見ていきますと、
吾妻下駄、というのと、堂島という下駄。
この2点が歴史が古い表付きの下駄として名が挙がるところだと思います。
この下駄はどちらも明治・大正と、時代を超えて履かれ続け、今でもなんとなく形が把握できる程度に印象が残っているほどの下駄ですね。
吾妻下駄の方は吉原の遊女「吾妻」が履いたとかでその名がついているとされているのですが、
この下駄の起こりは寛永(1624~1645)ということですが、実際に流行り始めたのは文化文政(1804~1831)の頃と言われています。
もう一つ、堂島と名の付く表付きの下駄は寛政(1789~1801)のころ、大阪の堂島米会所で履かれ始めた下駄、というのが現代に伝わっています。
この堂島下駄。
今風に表現すると千両の表付きの下駄というのがまさに「堂島」下駄なのですが、
明治34年発行の「東京風俗志」という本によりますと、ハレの日の履物である、と紹介されています。
ハレというのはお天気の晴れ、ではなく、非日常的な世界を表す言葉ですね。
いわゆる「晴れ着」というのはまさにこの動画テーマである「フォーマル」といった正装に繋がってくる考え方ですよね。
つまり、堂島下駄はフォーマルシーンに履かれるようになっていた、ということであり、
畳表付きの下駄が礼装になるという考え方は間違いなく存在しているというわけですね。
なんとなく瞬間的にテーマの答えが出たように思いますが、
個人的にはこれだけでは終わっていません。
なぜ表付きの下駄が正装になるのか。
いや、正装として認められるようになったのか。
これを知りたい、というのが今回のテーマだと思っています。
そこで行きついたのが「御免下駄」という下駄でした。
全く聞いた事がない下駄で、「ごめん」といえば「ごめんなさい」という「ごめん」ですよね。
なんだこの下駄は・・・ということで調べていきますと。
ごめんは「御免」と書きまして、辞書を引いてみますと「免許すること」とあります。
つまり、偉い方が何かを許しているということですね。
この御免下駄について明治22年発行の「言海」という国語辞典に
「畳付ノ駒下駄ノ称、禁中、雨天ノ節、高足ナラズトシテ、免サルレバイフ」
と書かれています。
ここで重要なのは畳付きの下駄、ということと「禁中」ということですよね。
「禁中」つまり皇居、ということで、江戸時代がこの動画のメインテーマになりますので、
ここでは禁中=京都御所、と捉えても問題はないかと思います。
この京都御所に表付きの下駄で来ても良いよ~。というのを「御免」している。ということですよね。
これは間違いなく行く方からしたら最もかしこまった恰好をしなくてはならない所ですよね。
現代風に言えばフォーマルシーンだという事が出来ると思います。
この御免下駄の存在が、表付きの下駄はフォーマルになる!と現代まで伝わっているキッカケではないか、と私としては思いました。
ということで、ここから先はこの御免下駄について。
この下駄について知る事が出来れば結果的にフォーマルに繋がっていくと考えて
この御免下駄というのはどういう履物だったのか・・・というところを見ていこうと思います。
実はこの御免下駄という下駄についての資料は非常に少なく、あまり大きな手掛かりがありません。
そこで辞書の表現に戻りまして。
ここで表現されている「駒下駄」というのが一つの大きなヒントになるはず。
この駒下駄、という表現そのものは現在においても、我々としては非常に身近な言葉として使っています。
私個人としても、単に「駒下駄」と聞いたとしたら2枚の歯のある下駄を想像します。
しかし、この現在に残る「駒下駄」という表現は関東一帯の方言のようなものである、という見方もあり全国共通の言葉ではないようです。
どういう学問なのかはしりませんが、下駄というものを区別していったときに「駒下駄」という言葉の表す下駄は二枚歯の下駄ではないようです。
ではその「駒下駄」という言葉が表す下駄はどういうものなのか。
具体的には駒下駄についてみてみますと、
馬の蹄のような歯が付いている、
といったような事から馬下駄と呼ばれていた下駄が
時代とともに駒下駄と言うようになっていったようで。
気になるその下駄の形はこのような形だったようです。
どちらかというと小町・後丸といった下駄に近いように感じますが、前歯に傾斜がありません。
私が近い、と感じたのは「庭下駄」でした。
あまり長く歩く事を想定していない、庭で履くための庭に置いておく下駄。というのが現代に伝わる庭下駄ですが。
この形がいわゆる駒下駄である、といっても差支えないぐらいに感じます。
この駒下駄・馬下駄について調べてみますと。
湿地の歩行、ご近所履きに履かれていた。ということで。
さらに、いわゆる茶道で使われている数寄屋下駄・露地下駄というもの、また庭下駄と基本的にはほぼ同じ、という見解がありました。
現代までこの庭下駄というのは形を変えずに伝わっているわけですが、なぜこのような全く足の返りの無い歩きにくい形をしているのか。
というのが今まで自分にとっても謎でしかありませんでした。
その謎が、この御免下駄について、駒下駄について、庭下駄について調べているうちに段々と分かってきた事がありました。
どうやら、二枚歯の下駄、差し歯の下駄だと、土間や庭を荒らしてしまう。と考えられていたようです。
私、以前に「デパートに下駄はダメ?」とかいう動画もアップしていますが、
こんな身近な所にも「下駄はダメ!」という考え方があったんですね。
正確には下駄、というよりも足駄ですね。
今風に言うと差し歯の二枚歯の下駄はこういった建物内の手入れされている空間において、履くべきではない。
と考えられていた。
つまり、庭を荒らさないために、歯を作らない下駄、馬の蹄のようなカッチリとした。着地面積の広い、あまり強く蹴る事の出来ない構造の下駄を作った。
これが庭下駄なんですね。
なるほど!
だから前歯に傾斜を付けず、あえて歩きにくい形のまま下駄として置いてあるのか。と。
その形の意味するものが見えてくると、途端に愛着が湧いてきまよすね。
お前はその形を貫く必要があったんだな、と。
しかし。
おいおいちょっと待てよ。と。
この動画のテーマは表付きの下駄が正装になる理由じゃないのか、と。
こんな庭下駄の話を聞くためにここまで付き合ってきたんじゃない、と思う方もいると思います。
しかし、この「御免下駄」は畳表付きの駒下駄であるわけです。
つまり庭下駄の形をしていたわけですね。
この御免下駄においても、この庭下駄の形を踏襲したのは、これは重要な意味を成していると思うんです。
ここでまた辞書の表現に戻りまして「禁中」
つまり京都御所だと先にもご紹介していますが。
この京都御所は重要な儀式を行う場でもあった、というわけですね。
その場が、こちら。
これ、私が東武ワールドスクウェアに行った際にたまたま撮影していた京都御所、紫宸殿を再現したミニチュア模型なのですが・・・
この紫宸殿の前にある白い砂を敷き詰めたスペース。
これを南庭といって、重要な儀式の場として使用されていたようです。
つまり、その儀式に出席するために履く履物、これが現代風にいうとフォーマルに繋がりますよね。
その重要な儀式がこの南庭のように完全に手入れされた美しい場所で行われるからこそ、履物によってそれを乱す事はしないですし、させないですよね。
これは当然のことだと思います。
ということで、基本的には雪駄。
いや、履物の歴史並みに古いため、時代によっては草履といった方が適切かもしれませんが、少なからず表面は畳表の履物を履かれてきたわけです。
しかし、雨の日とか、さすがに厳しいよね・・・ということで、「御免」にするよ。と。
だけど、畳表をつけて、庭下駄という形は守れよ、というような主張を私は非常に感じました。
この御免下駄がいつ頃に御免となったのか、いつ頃から履かれているのか、というのは難しく。
当初自分はそれを探して色々と見ていたのですが、残念ながらそのヒントを掴むことはできませんでした。
一つ自分の妄想的な話として、「天明の大火」というのもあるのではないかと思いました。
京都御所も含めて京都中が焼けてしまったという火災で、きっと、草履だけでは過ごせなかったんじゃないかと思うわけです。
時代も場所も違いますが、関東大震災で焼野原となってしまった東京では草履を履くような状況ではなかった、という記録が残っています。
不思議とこの直後に大阪の堂島下駄が出現、それを良しとして全国に広がっていく流れは無関係ではなかったんじゃないかな~と散々想像してしまいました。
そんな妄想はどうでもいいですが。
この御免下駄を元にした下駄、ということで「日光下駄」という下駄があります。
こちらも栃木の工芸品として絶やすことなく現代に伝わっています。
この日光下駄というのも、日光東照宮における神事において必要な履物であり、御免下駄を元に畳表付きの下駄を作った、というのが起源のようですね。
この日光下駄については庭下駄の形は踏襲されていませんが、
現代、我々にも伝わっている「表付きならば良し」というところで、形問わず、表付きであれば「御免」であるということになっているのではないでしょうか。
以上。
いかがだったでしょうか。
今回は表付きの下駄が正装になる理由と題しまして、
そのキッカケとなっているであろう御免下駄について探ってみました。
このチャンネルの方針としまして、ネット上にもあまり無いような情報をアップしていこうと思っています。
試しに「御免下駄」と検索してみてください。
ほとんど情報が得られないはずです。
少しでも楽しんでいただけていたら、参考にして頂けていれば幸いです。
最後までご視聴ありがとうございました。
参考文献 引用
大槻文彦編 言海 日本辞書
守貞漫稿
東京風俗志(中巻)
今西卯蔵著 はきもの変遷史
潮田鉄雄著 はきもの
日本人とはきもの
近代日本の身装電子年表より↓↓
読売新聞 大正12年 11月5日