なぜ中国では下駄を履かなくなったのか?~日本と中国の比較~―丸屋チャンネル@youtubeまとめ―丸屋履物店

なぜ中国では下駄を履かなくなったのか?~日本と中国の比較~


キッカケは、1つのニュースが目に留まったことです。
残念だ・・・下駄は中国起源なのに、日本のものになってしまった」という記事を見かけました。
このタイトルの通り、中国のメディアがそのように報じた、というのが日本でも記事となっていました。
2021年6月18日の記事ですから、もしかしたら目にした方もいらっしゃるかもしれません。

このような報道に対してどうこう、というわけではないですが、
「なぜ日本では下駄が馴染んでいるのか?」
「なぜ中国では下駄を履かなくなったのか?」
という切り口は面白い、と感じたわけですね。

この違いにもしかしたら日本の独自性があるんじゃないか。
そのようにも感じますよね。

なので、これは一度真剣に考えてみようと思った次第です。

慶応元年創業 和装履物処「丸屋履物店」 6代目店主 榎本英臣

もくじ

◆日本の履物史と遣唐使

◆一致する「足下・足駄」という履物

◆中国ではいつ下駄を履かなくなったのか?

◆露卯下駄について

◆陰卯下駄へのアップデート

◆さらなる下駄のアップデート

◆日本に下駄が馴染んだ理由

なぜ中国では下駄を履かなくなったのか?~日本と中国の比較~
動画版はこちらから

日本の履物史と遣唐使

まず、日本の履物文化と中国の関係について知っておこうじゃないかと。

日本人と履物、となりますと最も古いのは「後漢書(445年、後漢(25-220)時代を記した本)」という
中国の本に出てくる「倭国」の記述。
この中に「日本人は皆裸足だった」というような表現が見られます。
ここから推測するに少なくとも2~3世紀辺りまでは日本人は裸足を主としていたというのがわかります。

では履物を履き始めたのはいつなのか?というのは色々と議論があるところになりますが、
一つのキッカケとして言われているのは遣隋使・遣唐使、という中国との交流にある、と言われます。
そこで改めて履物を知り、それを日本に持ち帰って広めたんじゃないか。と考えるのが日本の履物の起源として一般的な説だと思います。

この「遣唐使」の中に前回の動画で草履を広めた人なんじゃないか、という話で出てきた最澄・空海という仏教を広めた人達も含まれるわけですね。

このような当時先進国であった中国を見て学び、日本にその文化を取り入れようじゃないかという流れは、誰もが知るところでもあると思います。

その中に、草履があり、下駄もある、という事になります。
下駄、というよりも正確には「足駄」といった方が良いですね。
この「足駄」という名称、これが中国語にも通じているという指摘もあります。


一致する「足下・足駄」という履物

中国ではその昔は「足下(あしした・そっか)」という言葉が当てられていました。
この「足下」という表現は日本でも平安時代に確認できるようです。
関東圏ではあまり使わない言葉ですが、関西圏で今でも使われる事がある「木履」という表現も中国語では下駄・木の履物を表す言葉のようです。
さらに掘り下げていくと
我々のイメージする「足駄」という履物と中国の謝霊運(385-433@詩人)が作ったとされる歯が着脱式の下駄。
これが全く同じである、という指摘が研究者によってされています。

この謝霊運という方の作った下駄が中国でも下駄履きが広まり定着するキッカケになっていったようです。

つまりこの謝霊運の作った下駄が中国にも日本にも影響を及ぼしている、起源・スタートラインは同じと言って良いのに、
「なぜ中国では廃れて、日本では履かれているのか?」
これは興味深いですよね。


中国ではいつ下駄を履かなくなったのか?

では、実際履かれなくなった時期はいつなのか?
中国側の歴史に関しては全く無知レベルですので、そのまま情報を頼るしかないのですが。
2019年2月に別の中国メディアが報じた例では「宋(960-1279)の時代に下駄は履かれなくなっていった」とありますので、
年代的には日本でいう鎌倉時代ぐらいでしょうか。
思いのほか、廃れるのも早いんですね。
むしろ日本では平安~鎌倉時代辺りにこのいわゆる「足駄」が履かれた形跡が多く見られます。
というよりも、日本ではそのまま「足駄」は履かれ続けます。


露卯下駄について

ここで改めて履物の構造をみてみますと、
謝霊運という中国の人が作った下駄はいわゆる「露卯下駄」と呼ばれるもので、ホゾ継にする歯が差し込み式の下駄になります。
この露卯下駄は江戸時代まで履かれ続けています。
「露卯下駄」に関しては宮本馨太郎氏による研究が素晴らしく、
露卯下駄の終焉」という論文から引用させて頂くと
「昭和9年に宝島における現用品片足の採集を以て日本における露卯下駄の使用は終止したと判定」
ということで、
昭和9年まで露卯下駄の使用が確認できるものの、それ以降は履かれていない、とされています。
何よりも正確な情報が求められる研究論文ですので、「昭和9年」という結論になるわけですが、
一般的な履物研究によると、江戸時代中期頃から露卯下駄から陰卯下駄へと下駄の作りに変化が起こります。
露卯下駄と陰卯下駄の話は前にも
もののけ姫のジコ坊の下駄」をご紹介した動画で語っていますが、
露卯下駄が台にホゾ穴を空けてそこに歯を差し込むのに対して、陰卯下駄は台・甲羅を厚く作って歯が納まる溝を作り、そこに歯を差し込む形状をしています。


陰卯下駄へのアップデート

この「露卯下駄」VS「陰卯下駄」の対立は明らかに「陰卯下駄」が勝利するわけですね。
「陰卯下駄」の方が履きやすい。歯が取れにくい。というメリットがあったわけです。
この形は現在の朴歯、一本歯にもそのまま受け継がれている作りになります。

これが我々が現代でも認識するいわゆる「足駄」の作りです。

もし下駄がこのままだったとしたら、今現在ほど履かれてはいないのではないかと思います。
起源は確かに中国から受け継いだものかもしれませんが、現在「下駄」と呼ばれている日本のそれは
同じ木の台に花緒をつけた履物ではあるものの、全然違うスタイルになっていますよね。

ここが、日本の、というか日本人の凄いところなんじゃないですかね。

現在の下駄

さらなる下駄のアップデート

上手く自分達のスタイルに取り入れて、改良を重ねていく。
この過程を経て辿り着いた形に私は美しさを感じてしまいます。

皆さまご存じのようにこの「足駄」と呼ばれるスタイルは今現在履く方は非常に少なくなっており、普段に履くものではないですよね。
昔ながらの使用方法でいえば、どちらかといえば雨の日であるとか、悪路を歩く時に採用されてきたのがこの足駄という履物だと思います。

陰卯下駄

それに対して今一般に、普段に履く下駄、というのは差し歯ではなく、桐の一木作りの下駄、ですよね。
日本で下駄が長く履かれていく要因として、この桐下駄の存在が大きいのではないでしょうか。

現在の下駄

下駄が生活に馴染んでいく中で下駄の方にも変化があります。
いわゆる「足駄」という差し歯の下駄は雨の日に履く下駄としての役割はそのままに残しておきつつ、
新たに「ちょっとそこまで行くための履物」を作ったのが、現在へと続く桐下駄の始まりだと思います。
徐々に下駄が履かれ始めていく、この流れが生まれるのが「元禄の頃ではないか」と言われています。
そこからしばらく、日本は「履物といえば下駄」というのが当たり前になっていきます。
この下駄が日本の履物シェアNO1の座に君臨していた時間は非常に長く、ざっくりと第二次世界大戦まで続きます。
ザッと300年は履かれ続け、いずれも「履物といえば下駄」という高いシェア率を誇っていたように想像します。


日本に下駄が馴染んだ理由

日本の生活の中に、これほどまでに下駄が馴染んだ理由はなんなのか。
それは改めて考えると、「履物を玄関で脱いで上がる文化」が影響しているように感じます。

履物を玄関で脱いで上がる

今回中国との対比の中で印象的だったのが
「中国には玄関が無く、家の中でも靴履きのまま」
という、イメージ的に欧風の生活習慣を持っている事がありました。

古くから下駄が履かれていた証拠となる文献の中にも、
テーブルから落ちた卵を下駄の歯で踏み潰したなどという、家の中で下駄が履かれていた様子が描写されています。

家の中で下駄履き。
この感覚は日本人には無いですよね。
もしかしたら同じ履物であっても、その履かれ方そのものに違いがあったのかもしれません。

やはり日本は暖かかった。いや、暑い。ということでしょうか。
その結果、住まいが進化していく中で、履物の脱ぎ履きが多くなった。
簡単に脱ぎ履きができて、しかも足が汚れない。
そんな履物が定着していったように感じます。

そこにはもちろん。
下駄を進化させようと工夫を重ねてきた職人達の苦労を感じます。
差し歯から一木作りの下駄へと変化していく中で、もっと履きやすくするにはどうすればいいのか。
これは本当に私にとっても「よく考えられている履物だな~」と感じるところです。

確かに起源を遡れば中国から来た履物じゃないか、というのは否定できないところですが、
この履物にはそれを日本の風土に合うように改良してきた。
もっと履きやすいように。もっと生活に沿うように。
そんな工夫を履物全体から、感じてしまいます。


以上。
最後までご視聴ありがとうございました。


なぜ中国では下駄を履かなくなったのか?~日本と中国の比較~
動画版はこちらから

参考文献 引用
残念だ・・・下駄は中国起源なのに、日本のものになってしまった=中国

中国では木製の靴を履く習慣は廃れたのに、日本人はなぜ下駄を履くのか=中国メディア

中国の下駄と日本の下駄

露卯下駄の終焉 : 宮本馨太郎

はきもの@潮田鉄雄

はきもの変遷史@今西卯蔵

太平洋戦争期いおける経済統制と木履工業の展開 :張楓

守貞漫稿


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